2026/05/18 16:45
AIっぽい作品ステートメントやブログを見かけるようになったという記事をかきました。
具体的な例はこちらです。 >> AIが使いそうな言葉|2025年現代写真定点観測【前編】
具体的な例はこちらです。 >> AIが使いそうな言葉|2025年現代写真定点観測【前編】
言い回しだけでなく、作家の態度のようなものが急に変わったように感じることもあります。

寡黙だった作家が急に饒舌になる
普段は一言二言で済ませたり、むしろ写真のみを淡々とSNSに上げていた人が、
突然「私の作品は、存在と不在の狭間において……」みたいな長文を添えるようになった。
突然「私の作品は、存在と不在の狭間において……」みたいな長文を添えるようになった。
人間の作家性って言葉と温度に一貫性があるはずなのに、それが崩れる違和感が先行してしまいます・・
写真そのものが良かったのに理屈で限定的になる
写真自体が見る人に委ねるような余白を持ってて作家性や作品が成立していたのに、ステートメントで全部解説されると見る側の想像力の居場所がなくなる。
良い写真は言葉にできないものがあるのに、AIはそれを言葉にしようとになるからかち合ってしまう。
シンプルな事を冗長的に説明して分かりにくい
「静かな朝」というシンプルな感覚を「静寂に包まれた朝の光景は、日常の喧騒から離れた安らぎを提供し、観る者に内省の機会を与えるものである」みたいに飾ってしまう。
結果、読んでる側は「え、何が言いたいの?」ってなる。
人間は感覚で最低限であるのに、AIはちゃんと説明しなきゃと無理のある肉付けすることがある。

AIが気になって頭に入らない
これらに共通するのは、人間の不完全さが消えてしまっているということです。
人間の文章には、言いたいけど上手く言えない部分や感情の温度感、ちょっとしたクセや脱線があるからこそ読む側に共感を生む。
AIはそれを最適化しようとするから、逆に失われてしまうものがある。
だからこそ、フィルムカメラが再び人気になるのも分かる気がします。
せっかく展示会場へ行っても、私はAIっぽさが気になって作品のことが頭に入らない。
こんな形でAIの影響を受けるとは思ってもみませんでした。
生成画像が氾濫するだとか、仕事が奪われるだとか、そういう大きな話ではなく、好きだった鑑賞体験そのものが、ちょっと味気なくなっていくという個人的な喪失でした。
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