2025/10/10 15:07


10年以上前、篠山紀信の写真展を観たときのことを今でもはっきり覚えています。
会場は老若男女で賑わい、作品の前でじっと立ち止まっていました。
宮沢りえやジョン・レノン、三島由紀夫、松田優作など、時代を彩ったスターたち。
一方で、海外から来た観客はそそくさと会場を出ていく。
当時の私は、その温度差を不思議に感じました。


日本人にとってそれは、ただの人物写真ではなく、
その時代や自分自身の記憶と重なる物語だったのです。
つまり「分かる写真」とは、見る人が共有している文脈の上に立っている。




分からない写真には「背景」がある

一方、「分からない写真」は、その文脈を共有していない人には意味が伝わりにくい。
なぜなら、それは背景を知らなければ読み解けない構造をもっているからです。


たとえば、川田喜久治の「地図」
一見すると抽象的な模様にしか見えませんが、
実際は原爆や戦争の記憶が刻まれた壁や地図の断片。


あるいは、北野謙の「our face」や柴田敏雄の「風景シリーズ」のように、
個人の視点を超えて社会や時代の構造を見つめる作品。


そこには「感覚で理解できない」理由がある。
分からない写真とは、感情ではなく構造でできているのです。




タイムラインではなく、時間の中で

SNSの時代においては、数字が理解の証のように扱われます。
しかし、数字を追いかけるだけでは、
作品はタイムラインに流れて消費されてしまう。


分からない写真は、
時間をかけて理解されることに意味があります。
そこでは「いいね」の数よりも、
どれだけ長く見返されるかが価値になる。


それは美術館に収蔵され、
見返される時間の中で意味を更新していく写真のあり方でもあります。




世界を未知に戻す

かつては、知らない場所へ足を踏み入れることが旅だった。
いまではレビューを見て確認しに行く作業になってしまった。


旅の神秘性が失われた時代に、
分からない写真は、世界をもう一度 
未知 に戻してくれる。


デジタルの光が世界をすみずみまで照らす中で、
見えないもの、理解できないものに出会うことは、
ひとつの抵抗であり、救いでもあります。


それは、見返される時間に価値を持つ写真のこと。
そして、その未知と向き合う時間が、
私たちの感性を更新し続けるのだと思います。


-

芸術を知った人は、孤独の中にも光を見つけられる。
その光は、誰に奪われることもない。

-



>> 【前編】分かる写真|快さにある限界



🔸本革 GRⅢ・GRⅢx・GRⅣ 対応カメラポーチ(ハンドストラップ付き)

ハンドメイドにつき不定期販売となります。