2025/10/18 08:40
展示には作品だけでなく、そこにいない作家の手の跡がある。
「会えないこと」もまた、作品の一部だと思うようになった。
地方に住んでいたころ、展示の情報を雑誌で眺めては、そこに行ける人たちを羨ましく思っていた。
作品からその人を想像することも悪くなかった。
東京に出てすぐに憧れていた展示を見に行った。
まさか作家本人が会場にいるとは思わず驚いた。
けれど、がっかりする自分もいた。
想像があっけなく崩れていく。
作品の奥にあったものが消えていく。
それまで自分が見ていたのは作品そのものではなく
その背後にある「見えないもの」だったのかもしれない。
SNSや情報化によって垣根はなくなっていく。
けれどその分、想像することが奪われている気もする。
SNSで在廊日がアナウンスされるのがあたりまえになった。
わたしは作家がいない日をあえて選んで行くこともある。
作品展示は完成された場であり、作品のための場所でありたい。
そこには作家がいなくてもいい。
作家がいるとファンのための場所になってしまう。
余計な分身のようなものが入り込んでしまう気がするのだ。
会えないことも作品の一部。
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